歌詞(歌ネット)
明記しない引用は上記サイトから
アイツから文章が届いた。もともとひとつの文章だったが、3曲分が書かれていたので2つのページに分けて掲載する。サッサと読みたい方は次のボタンから。
なお、見出しは私が付けている。
アイツから届いた考察
キタニタツヤはメジャーになってもよかったのか?
誰もが知るミュージシャンというわけではなかった
『青のすみか』が出るまでは、「キタニタツヤが好き」と言う前に「多分知らないと思うけど……」という枕詞を付けていた。ボカロ界隈では悪魔の踊り方なんかかなり有名だったけど、ネットの外ではこんなもんかと思った。
米津玄師のアイネクライネが出たばかりの時に付き合いのカラオケで歌ったら誰一人知らなくて驚いたことがあるから、ネットと現実では流行り物に結構な乖離があることはよく知っていた。 これだけ実力があるのだからこれからもっと有名になるだろうとは思っていたし、実際アニメとの多数のタイアップもあって確実に新規ファンを増やしていったけど、「ネット・アニメ」的な括りから出ることはないだろうと思っていた。
断じて実力不足だなどと言いたい訳ではなく、根底にあるメッセージ性、そもそもの世界観や作品中に垣間見える価値観が、「大衆向け」からは程遠いと感じていたからだ。
世間バレ
だから、青のすみかがきっかけだと思うけど、急に有名になり出した時期は困惑した。私は属していないが、Twitterのかなち(キタニのファンの呼称)界隈は目に見えて大きくなった。
知らぬ間に目玉の絵文字がファンマということになり、現在キタニのファンを名乗る多くのアカウントがその絵文字をアカウント名に付けている。
中島健人とのユニットGEMNによる『ファタール』が流行した時にはもう諦めていた。隠れた才能が発掘されることをよく「世間にバレる」というが、本当に「バレてしまった…」という気持ちだった。
実は痛烈なポリティカル・ソング
迂遠な前置きは一旦ぶった切って、キタニのボカロ時代から今に至るまでの超代表曲である『悪魔の踊り方』を紹介する。きっと特定の方面に知識がある人であれば、「バレた」という感覚が理解できると思う。
タブー視される政治
日本では政治の話題はタブーとされる。
「このミュージシャンは政治のことを歌わないからいい」とか、「好きなミュージシャンがSNSで政治の話をしていて萎えた」とか、そういった感想もたまに聞く。
ネットの住人なら肌感で分かると思うが、特に左派は嫌われ者だ。あの「いーあるふぁんくらぶ」も、投稿された当初はいわゆる「ネトウヨ」によって非難(というか、荒らし)されていたのだ。中国のことを友好的に歌っているというだけで。
大炎上モノ
それが何だこのMVは。「口だけ」の生き物に喝采を浴びせる大衆、逆さまの国会議事堂、投票箱。そして顔にぽっかり穴の空いた歴代総理大臣の写真。「神とやらに惑わされるなよ」という超クールなパンチラインで映されるのは、穴の空いた故安倍晋三元首相の写真。
何かのきっかけで強火ネトウヨにでも見つかれば一瞬で燃やされそうだが、何故か今まで全くの無事である。それどころか昔の配信のしょうもない学歴煽りのほうが先にプチ炎上しかけたので、この動画は何か不思議な力に守られているかもしれない。
420
何かとコンテンツを燃やしたがる人達というのは「ルール」が大好きだ。いちばん身近なルールといえば、もちろん法律である。法律を平気で破って居直っているような人間は当然叩かれる。
特に日本人は薬物犯罪に厳しく、有名人が大麻など所持しようものなら凶悪犯罪や汚職事件と同じ規模で報道がなされ、出演作品が回収されたりもする。
420に救済を求めてどうする
キタニは大の酒好きだが、これがお酒でなく大麻好きだと公言してしまえば紅白出場なんて有り得なかっただろう。大麻好きを公言してもイメージが下がらないのはHIP HOPやレゲエなど限られたジャンルしかない。
まあとにかく、MVの思想が強い程度では炎上しない時代なのかもしれない。それこそ薬物でもやってなければ。では、日本のポップシーンで今いちばんアツいキタニタツヤの代表曲の歌詞を少し見てみよう。
420でさえも救えない終焉があると知った
「誰も疑わない神様を疑え」
ちょっと待て。一体何に救済を求めようとしてるんだ。
ファンマ化する420
何の酔狂かライブグッズにまでデカデカとその謎の3桁をプリントするものだから、ファンたちが意味を知ってか知らずかTwitterのIDにこの数字を入れている事例を複数例観測している。IDにこの数字を入れがちな界隈を私はもうひとつしか知らない。
ストナー界隈、つまり大麻愛好家たちのコミュニティだ。
ストナー(大麻愛好家)にとって420の3文字は特別なもので、4月20日は記念日のように扱われている。この歌詞で「420」が直接大麻そのものを指しているとすれば簡単に意味が通る。
まあ、ボカロ曲には薬物をテーマにしたものが数多くあるため、この程度で炎上はしないのかもしれない。大麻を肯定的に書いてる訳でもないし、所持や使用をそそのかす文脈でもない。だから問題だと考える人が少ないのに違いない。
「私」からの補足
420とボカしていたのだが、大麻であるとバラされた。
キミの発言は信用できないんだ
アイツはこの曲を社会批判込みの文脈で捉えている。その一方で、キタニ自身はこう書いている。
(Web魚拓)
「キタニ本人が社会批判じゃないって言ってるんだから社会批判じゃないだろ」という意見が出てくると思うが、我々の中でキタニタツヤという人物は、特にその発言について(半分ほどは賛辞を込めて)全く信用できないとしている。インタビューの発言とやっている事に齟齬がありすぎるからで、そういった矛盾の指摘はいくらでも出てくるだろうから、今後の更新に期待されたい。
神とは何か
「誰も疑わない神様を疑え」
思考を休めるな 脳ミソを回せ
今夜、悪魔がお前らにこう云うぜ
「神とやらに惑わされるなよ」
ここで言う神とは何のことだろう。
文字通り、信仰対象としての「神」
宗教の神としてもいいが、それだとストレートすぎる。範囲を拡大して、崇拝するあまり言動を無条件に肯定する、というファンが多い有名人なども含める。
権力の象徴としての「神」
MVでポリティカルな描写があるため、このような解釈も可能である。
キタニタツヤ自身
創作・表現活動において、創作者は自身の創作物において神に等しい力を持つ。
疑え。惑わされるな
私は3番目の案を採る。1番目や2番目の要素が皆無とは言わないが、3番目の要素が一番強い。
つまりキタニは、自分のことを安易に信じるなと言っている。
その証拠に、本作Stoned Childもインタビューでは酒の曲だとのうのうと言ってのけているが、実は大麻について歌っている可能性が十分にある。
解像度の高さ
キタニは解像度の高い歌詞を書く。その事柄について、体験した・知識のある人は何を言っているのか理解できるが、分からない人は本当に分からない。
前提となる知識を持っていると全く違った解釈ができるのも、キタニタツヤの魅力のひとつである。
コメント